ヤギとゆかいな仲間たち

りさヤギなりのまじめな思考から、周りで日々起こる1本ネジが外れた脱力系の出来事までを、飾らず繕わず、ありのままに記録しています。

太宰府天満宮とヤギの思い出

今日もご覧いただいて、本当にありがとうございます(*^-^*)



台風10号が吹き荒れる日に、スマホを落として壊してしまいました(汗)
普通だと、外で落としたと思いますよね。
いいえ、家で撮りためたビデオを観ている時に落としたんです。


Kがいろいろ調べてくれ、あちこちに問い合わせもしてくれたけど、修理をしてもデータを復元できない可能性が高いらしく、諦めて機種変更することに。
数か月も前から調子が悪かったから簡単に壊れてしまったんじゃないかと思いますが、
店員さんの勧めで、夜景もきれいに撮れる、カメラ機能がなかなか充実したものに変わりました。



ということで早くカメラ機能を使いたく。
早速行ってまいりました(≧▽≦)
今回は学問の神様として有名な菅原道真公が祀られている、太宰府(だざいふ)天満宮です。



↑ ここはヤギが毎日通う博多駅です。いつもの風景。
今日は正面に写っている博多バスターミナルからバスに乗って出発です。
いつもは車か電車で行くので、バスで行くのは初めて。


あ!バスが来ちゃう!急がなくちゃ (;'∀') 」
行ってきま~す。



~~★~~



バスは町中を走ってる一般的な車両じゃなく観光バスだったので、ヤギはびっくりしました。
一般的なバスよりも目線が高いから、地元民なのにそれだけでテンションが上がって観光気分が盛り上がりました。


↑ 最後に乗車したのに、嬉しいことに1番前の座席、しかも見晴らしのいい左側に座ることができました。
そこから撮った1枚です。


ここは大和朝廷の時代、外国と交渉をするための窓口となる役所(大宰府政庁)があった場所で、当時を偲ばせる礎石が残されていて、今は自由に遊べる公園になっています。
ヤギもお弁当やボールを持っておサル母さんと遊びに来たことがあります。
大宰府の歴史や文化を紹介する展示館もあります。
まだ行ったことがないけど、令和ゆかりの地・坂本八幡宮はここから歩いて数分のところにあるんですよ。



だざいふって、漢字で書くと『太宰府』と『大宰府』の2種類があります。
遠い昔にどう使い分けをしたのかは今もわかっていないらしいけど、
昭和40年頃から、古い時代の役所や遺跡に関するものは『大宰府』、比較的新しい地名や天満宮などは『太宰府』と表記分けするようになんとなくなったんだとか。


じゃぁ、どっちでもそれほど気にしなくていいってことなのかな?




↓ さて。
博多から約40分で太宰府駅に到着しました!

空がきれいでしょ。


バスはちょうど写真を撮っている駅の正面まで来てくれるのでとっても便利です。


いつ建て替えをしたのかな。
中にあるお店や壁や郵便ポストなんかもおしゃれになっていて、それを見るのも楽しいです。
座ってゆっくりのんびりしている人たちがいっぱいいて和みます。
ポストは石でつくってあって、外観を損なわず周りに溶け込んでいる素敵な物ですが、更にその上にはポストと一体化した鷽(うそ)が乗っているんですよ。
鷽は幸運を運ぶ天満宮の守り鳥と呼ばれています。


なのに写真撮るのを忘れました。
ヤギはまだ写真を撮り始めたばっかりだからなのかそれとも元々なのか、いろいろ気が回らなくて、写真を撮るよりも目で楽しむことに意識が行きがちです^_^;




↓ バス降りて正面が駅で、左を向いたらこの風景です。

本殿まで、鳥居がいくつもあります。
写真撮っていると、ちょうど目の前を浴衣着た女の子たちが横切ってくれました(*^-^*)
他にも何組も浴衣姿を見かけたので、近くで借りられるみたいです。
ヤギも一人じゃなかったら着てみたかったな。


コロナの影響もあってか人はまばらです。
よくお正月とかに太宰府天満宮の映像で、“芋の子を洗う”ほどの人を見るけど、平日の昼間は元々そこまで人はいません。



ヤギは思い出します。ここを歩きながら、何度となくおサル母さんが話をしてくれたこと・・・。


「保育園の遠足でさー、母さんと鈴木先生と浦先生が「空きれいね~」って話しよったら、
おとなしいヤギが「きれいね~」って大人のまねして言うもんやけん、先生も母さんもケラケラ笑ってさー(笑)
かわいいねーって。
ヤギは鈴木先生と浦先生にほんっとかわいがってもらったもんねー」


ヤギは遠足のことを覚えていないけど、なつかしく感じます。
鈴木先生と浦先生、大好きだったなー。
お元気なのかな・・・。




↑ 参道と駅の地面に敷かれたなタイル。
意識的に写真を写したわけじゃなくて、新しいスマホに慣れてないから知らない間に画面に触れて、勝手に撮れていたものです(笑)


これは梅の模様なのかなぁ。太宰府と言えば梅だから。はっきりはわかりません。
とっても素敵です。


参道の両脇にはずら~っとお土産屋さん・カフェ・名物の梅ヶ枝餅屋さんが並んでいます。
ヤギは子供の頃からここを見て歩くのが大好きです。
ちなみに時々言われるけど、梅ヶ枝餅に梅は入ってないですよ。
むかーしむかし、道真公が不遇な生活を送っておられた頃、お餅を売っていたあるおばあさんが、時々お餅を持って慰めに行っていたんだそうな。
公が薨去された時、お餅に梅の枝を添えて送ったらしくて、それから梅ヶ枝餅と呼ばれるようになったとさ。




↓ スタバもここにできるとこうなるんですか~。ほほぅ。

著名な建築家の方が設計したらしく、見どころの一つになっています。


写真を撮っていたら、横にいたカップルの男の子が、
「太宰府天満宮にあるスタバは頭良さそう~」
と言って彼女さんを笑わせていました。
中に入ってご利益をいただいて帰ったらどうですか?



↑ 子供向けのおもちゃも置いてあるお土産屋さんです。
このお店、改築してあるけど昔からあるんじゃないかな・・・



ヤギが立っていた部分は日陰になっていて、さらさらと風が吹いたことで秋を突然感じました。
その瞬間、ぼんやりと目の前がかすむような、時間を過去へ遡っていくような感覚に包まれました。
するとおもちゃをお店の外から覗き込むように、小さいころのヤギが立っている姿が見えました。


耳と眉が見えるほど短く切られた髪の小さなヤギが、こちらに背を向けています。
その子ヤギはキラキラした目で女の子向けのおもちゃを黙って見つめています。
周りの風景を見ながら歩いていたおサル母さんがそれに気づいて笑います。


「なんね、どれが欲しいとね」
笑い声が混じった言い方にほっとして、子ヤギはこまごまとした小さなおもちゃがいくつか入った箱を1つ、うつむいたままそっと、手に取ります。
おサル母さんは店員さんを大きな声で呼び、お金を払いました。


子ヤギは買ってもらったおもちゃを大事に抱えて、嬉しくてたまらないのに、口元がにやけてしまうのを隠そうとするように駆け出しました。


「危ないよー」
そう言いながらも、急ぐわけでもなく歩くおサル母さん。
そんな母さんと一緒に歩くように、ヤギはお店を後にしました。


(以上、回想シーンでした)




↑ 参道を抜けてくぐった鳥居の先に神橋・太鼓橋が見えます。
その下にあるのは神池で『心字池(しんじいけ)』といいます。
心字池(所によっては心字ケ池)は太宰府天満宮以外にもいくつかあるそうですが、上空から見るとその名前の通り『心』という字に読めるんだそうです。


橋は2つの太鼓橋と、その間にある真っすぐの橋の3つで、それぞれ過去・現在・未来を表しています。
神様にお会いする前に橋を渡ることで身を清めます。


橋を渡る時に注意するといいといわれていることがあるそうです。
『過去の橋を渡る時は後ろを振り返らない』
『現在の橋を渡る時は立ち止まらない』
『未来の橋を渡る時はつまずかない』
『帰りは橋を渡らない』


・・・・・。
緊張するなぁ。




↑ 橋を渡ると向こうに本殿が見えてきました。本殿手前のこの建物は桜門(ろうもん)です。
ヤギだけじゃなくて大抵の方が忘れがちみたいだけど、向こう側からの写真も撮っておけばよかった。
この門は、こっちの池側からと、あっちの本殿側からで屋根の形が違います。
こちら側からだと2階建て・・・というか屋根が2つになってるけど、向こうから見ると屋根は1つになっています。
日本にある桜門全てがそうなっているわけじゃなく、大変珍しいそうです。


門の両脇でしっかり守っている人がいました。
それももれなく写真を撮り忘れています(*_*;)
この人たちも「阿」と「吽」の表情をしています。



門の手前に七五三祭についての看板がありますね。
ヤギが7才・弟が5才の時、晴れ着を着てここ(実際はもっと手前)で写真を撮ってもらいました。
今はどうかわからないけど、当時七五三の期間中はカメラマンの方がいて、きれいに撮ってアルバムにしてくれていました。
弟と2人、おサル母さんが買ってくれて、おばあちゃんが2人のサイズに縫ってくれた着物を着せてもらっているのが、ヤギはなんだか誇らしかったです。
逆光でまぶしかったようで、しかめっ面のおんなじ表情をして、千歳飴をちゃんと1袋ずつ持たせてもらっていました。
この看板を見て思い出し、くすっと笑ってしまいました。




途中だけど次回に続きます。




追記。
カメラの良さ、全然生かせていないような・・・。
それと、おサル母さんは今も元気に大阪で過ごしています。






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